おはこんばんにちは、七宝です
ちょっと『梨園』(りえん)の世界にトリップしてみませんか?
※『梨園』(りえん)とは、中国・唐の宮廷音楽家養成所であるが
日本では転じて、一般社会の常識とかけ離れた特殊社会としての歌舞伎俳優の社会を指します
みなさんいなりずしと巻きずしが一緒になっている「助六すし」って知っていますか?
このおすしの詰め合わせをなぜ「助六」というのか、みなさん疑問に思ったことはないですか?
筆者は手軽に済ませられるのと、無性に稲荷ずしが食べたくなるので
この「助六」をかなり重宝していましたが、助六の由来は知らずに今日(こんにち)まで来てしまいました
助六の由来が気になったのは、『マカロニ』というグルメアプリで
助六の記事を見たからでもあるんですけどね
なので、調べてみました
助六の由来は歌舞伎からきていました
歌舞伎というと、みなさんはどなたを思い浮かべるでしょうか?
中村氏のメディアへの出演はたくさんあったので、ご存じのユーザーさんも多いのではないでしょうか?
ニュースによく上がっていたので、テレビで見たことがあるユーザーさんも多いのではないでしょうか?
筆者はよくテレビでお顔を拝見していた方でしたが、歌舞伎役者の方とは存じませんでした
こうやってみても、美しいと筆者は思いますし、ホレボレとしてしまいます
名前は知らなくても、こんなダンディな俳優さんを見たことはありませんか?
というのも、お父様である初代 中村 獅童氏がとあるトラブルから歌舞伎役者をやめてしまい、映画プロデューサーに転向
長男だった二代目 中村獅童氏が名跡を引き継ぎ、師匠不在で歌舞伎役者を始めた方だったんですね
ざっとよく知られているであろう歌舞伎役者の皆様を挙げてみましたが、
そもそも「歌舞伎」ってなんぞよ?と思ってるユーザーさんが多いと思います
歌舞伎とは、日本固有の演劇で伝統芸能の一つです
1965年4月20日に重要無形文化財に指定
2005年にはユネスコにおいて人類の口承及び無形遺産に関する傑作の宣言をされて
2009年9月に無形文化遺産の代表一覧表に記載されたほどのすごい伝統芸能なんです
もともとは、派手な衣装を身にまとったり、一風変わった異形を好んだり、常軌を逸脱した行動に走る人たちを「かぶき者」と呼んでいました
(「かぶく」とはかたむくの古語である『かぶく』の連用形を名詞化した言葉で、『かたむく』が『かぶく』に代わったんだと認識してください)
そのかぶき者の特徴である派手や動きや装いを取り入れたのが「かぶき踊り」で、約400年ほど前の慶長年間に京の都でブームしたそうです
これが、歌舞伎の語源なんです
ちなみに、このかぶき踊りを創ったのが、あの出雲のお国です
ちなみに、かぶき踊りって女性が踊っていたんですよ
だから、歌舞する女という意味で「歌舞姫」「歌舞妃」「歌舞妓」、江戸を通じてからは「歌舞妓」になったんですが
今よく使われてる「歌舞伎」も江戸時代からあったんですが、「歌舞伎」って俗称だったんです
なら江戸時代当時はどう表現していたかというと、「狂言」または「狂言芝居」と呼んでいたんです
出雲のお国ブームで、かぶき踊りを踊る女一座が次々と誕生し、ブームしたまではよかったんですが
遊女一座の女歌舞伎の中にはきわどい演目を行う一座が増えてしまったために、1629年に徳川幕府が女歌舞伎を禁止したんです
女性がダメなら少年に演じさせようと試みた時代がありましたが、少年もアウトーと幕府が禁止令を出します
少年がダメなら男性に演じさせればいーじゃなーいと男性が演じ始めたのが、今の歌舞伎のカタチになりました
と、歌舞伎のおさらいが長くなりましたが、ここまで
んじゃ、ようやく本題に入りますか
この助六ですが、もともとは歌舞伎の演目のひとつであり、通称なんですよ
助六の正式名称は、『助六所縁江戸櫻(すけろくゆかりのえどざくら)』と言い、歌舞伎宗家である市川團十郎家のお家芸(十八番)なんですよ
ある所に花川戸助六(はなかわど すけろく)という男と愛人で花魁の揚巻(あげまき)がおりました
助六寿司は、揚巻の名前に「油揚げ」と「巻き」寿司に通じると洒落た命名なんですが
助六が紫のはちまきを巻くことから、助六を巻きずし・揚巻を稲荷ずしに見立てた
など、諸説あるんですよ
ただ、どの諸説も不自然さがないので、すんなり理解できる内容なんですね
粋な江戸っ子が洒落た名前をつけた
そのひとつがこの『助六』だった、というお話でした
冒頭で、筆者が助六記事を見たと書いた
グルメアプリ『マカロニ』をご紹介します
グラタンに入ってるマカロニじゃないですからね?!
こんなキャンドルあるかーい!とちゃぶ台をひっくり返したくなりました
どこで使うんだよと使う場面を本気で悩みました