おはこんばんにちは、七宝です
エンリンギ・マイタケ・ブナシメジ
秋ですねぇ~
秋と言えば、食欲の秋・収穫の秋です
そして、秋になると○○狩りのパンフレットが一気に増えますね
ユーザーのみなさんは『きのこ狩り』をしたことがありますか?
筆者はとても思い出深く、楽しかった記憶があります
小学生時代にきのこの菌を苗木に実際に植えて、
収穫までの実体験を授業の一環で行っていました
そのきのこ狩りですが、調べてみると歴史がありすぎて
驚きしかありませんでした
きのこは薬効のある高級食材、また秋の味覚として古くから親しまれています
きのこという名前も「木の子」と呼ばれ、森の中の朽木や切り株などに発生しているものを指していました
今でこそ「しいたけ」「えのきたけ」「まつたけ」と言われていますが、
それぞれの樹木に生えていたがために、それぞれの樹木と結び付けて呼ばれるようになりました
(しいたけはクヌギ・シイ・コナラ・クリ等の広葉樹の枯れ木に
まつたけはその名の通り、アカマツに
えのきたけもその名の通り、エノキ・カキ・ポプラなどに生えます)
きのこの旬は大体今頃で、6月~7月・9月~11月までの
雨が降った後が旬なんです
今は人工栽培があるから年中きのこを見ていますが、
旬を知るのもまたいいでしょう
きのこ狩りの歴史は古く、平安時代の貴族の行楽として楽しまれていました
江戸時代に入ると、庶民の間でも盛んに行われるようになったんです
女性にとっては弁当と手提げかごをぶら下げて、
近くの里山や雑木林にでかける「茸(たけ)狩り」は、実益を兼ねた楽しいレジャーでした
これで、食費が浮くし、何より一品二品おかずがふやせて
挙句、保存もできるのであればみんな採りに行きますね
山菜取りのきのこ版と想像すると、納得できると思います
きのこ自体も、私たち日本人にはとても馴染みのある食材で
縄文時代中期から食べられていた痕跡が、遺跡から発掘されています
世界規模できのこが食べられていた文化を紐解いてみると、1万3000年前
チリの遺跡からきのこを食べていたとみられる痕跡が発掘されています
他にも、きのこに関する書籍が残されており
古文でおなじみ万葉集や古今和歌集にマツタケに関する短歌が残されています
万葉集・巻の十の2233「高松の この峰も狭(せ)に 笠立てて 満ち盛(さか)りたる 秋の香のよさ」
作者は不明ですが、大雑把に訳すると「高松のこの嶺が狭くなるほど笠を立てて溢れている、秋のきのこの香りのすばらしさよ。」
ここで言う秋のきのこの香りはマツタケのことで、山全体に足の踏み場もないくらい
びっしりとマツタケが生えていたときの光景とその芳醇な匂いを詠った歌なんです
今じゃ考えられない光景ですよね
古今和歌集では巻五の309の歌
「北山に僧正遍照とたけがりにまかれりけるによめる 素性法師 『もみぢ葉は 袖にこき入れて もていでなむ 秋はかぎりと 見む人のため』」
こっちは、僧正遍照の息子にあたる素性法師(そせいほうし)というお坊さんが詠んだ歌です
簡単に訳すると、「この紅葉は袖に入れて持ち帰りましょう、秋は終りと一緒に見たい人のために」という歌です
詞書にある「たけがり」がきのこ狩りのことを指していますが、風流に詠みますね
補足すると、「たけがり=きのこ狩り」ということから食事が連想されます
そうすると歌に出てくる『人』 はきのこを調理する女性、つまり母親や、身の回りを世話するおばあちゃんなどでが想像できます。
採れたきのこを渡す時に、袖から紅葉を散らして「ほら、これが秋の終わりの落ち葉ですよ」と見せるイメージができますね
きのこ狩りが盛んになる江戸時代には、きのこ料理がたくさん誕生し
三代将軍・家光の時代にはレシピを記した料理物語なるものが発行されています
そのレシピ本には、しいたけ・しめじなど13種類のきのこと食べ方が記載されていたとのこと
同じ江戸時代には、きのこの人工栽培が始まっています
しいたけの人工栽培が最初で、その後現代まで脈々と受け継がれています
キノコレシピは星の数ほどあれど、数が多すぎて迷ってしまいませんか?
筆者もよく迷います
迷った挙句、プロのレシピってどんなのだか気になります
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いかがでしょう?