松山ケンイチ主演全身全霊で役作り「聖の青春」11月19日公開
5歳で発病し、常に死と背中合わせの中、将棋のみに生きる希望を見出し、
名人位獲得を夢見て、
プロ棋士のトップ10人しか入れないA級まで自分のスキルを高めながら、
29歳で病死された村山聖さんの物語です。
11月19日「聖の青春」が松山ケンイチさん主演でいよいよ公開されます。
こんにちは、 将棋に興味がありながら、うかつにも村山聖さんをあまり知らなかった飛行船です。
松山ケンイチ主演全身全霊で役作り「聖の青春」11月19日公開
松山ケンイチさんの真剣な取り組み
「命を燃やしている方。その激しさに魅せられました」
「病を背負われているので内面が一番難しいです」
「全身全霊をかけても足りない役」と語り、東京将棋会館に通いつめて、精神面、肉体面の両方から役作りに励みました。
(実際に村山聖さんと同じ病気(ネフローゼ)の方にもお会いして、知識を吸収したそうです)
『ネフローゼ』
タンパクが尿に大量に出てしまうために、血液中のタンパクが減り(低たんぱく血症)、むくみ(浮腫)が起こる疾患。
強度の全身倦怠感、無気力、食欲不振、皮膚の蒼白化、腹水・胸水等がある。死に至ることもある。
体格を合わせるため20キロ以上も体重をアップして肉体改造。
「でも、食べて飲むしかないんですよね」「おいしいものもおいしく感じなくなるんです」(松山ケンイチさん談話)
(役作りで20キロ以上太るなんて、松山ケンイチさんの熱意を感じました)
原作者の大崎善生さん(2000年に「聖の青春」を書き上げベストセラー)が撮影が始まったころの松山ケンイチさんを見てコメント。
「はじめて松山ケンイチさんとお会いしたとき、村山聖さんに似ているのに驚いた」
「意志の強そうな瞳。内面からにじみ出てくるような自然なユーモラス。そして人へ対する好奇心、優しさ。17年ぶりに村山くんがいた」と絶賛しています。
大崎善生さんは、村山聖さんの東京進出した時住居を紹介するなど、
何度も本人と会っています。
その大崎さんが
「似ている」「17年ぶりに村山くんがいた」と述べるほどですから
松山ケンイチさんの熱のこもった真摯な取り組みがうかがい知れます。
「聖の青春」あらすじ(公式PHから引用)
1994年、大阪。路上に倒れていたひとりの青年が、通りかかった男の手を借りて関西将棋会館の対局室に向かっていく――。
彼の名は村山聖[さとし](松山ケンイチ)。現在七段、“西の怪童”と呼ばれる新世代のプロ棋士だ。聖は幼少時より「ネフローゼ」という腎臓の難病を患っており、無理のきかない自らの重い身体と闘いながら、将棋界最高峰のタイトル「名人」を目指して快進撃を続けてきた。
そんな聖の前に立ちはだかったのは、将棋界に旋風を巻き起こしていた同世代の天才棋士・羽生善治(東出昌大)。すでに新名人となっていた羽生との初めての対局で、聖は必死に食らいついたものの、結局負かされてしまう。
「先生。僕、東京行きます」
どうしても羽生の側で将棋を指したいと思った聖は上京を希望し、相談を持ちかける。先生とは
「冴えんなあ」
が口癖の師匠・森信雄(リリー・フランキー)だ。聖は15歳の頃から森に弟子入りし、自分の存在を柔らかく受け入れてくれる師匠を親同然に慕っていた。
体調に問題を抱える聖の上京を家族や仲間は反対したが、将棋に人生の全てを懸けてきた聖を心底理解している森は、彼の背中を押した。
東京――。髪や爪は伸び放題、本やCDやゴミ袋で足の踏み場もなく散らかったアパートの部屋。酒を飲むと先輩連中にも食ってかかる聖に皆は呆れるが、同時にその強烈な個性と純粋さに魅了され、いつしか聖の周りには彼の情熱を支えてくれる仲間たちが集まっていた。
その頃、羽生善治が前人未到のタイトル七冠を達成する。
聖はさらに強く羽生を意識し、ライバルでありながら憧れの想いも抱く。そして一層将棋に没頭し、並み居る上位の先輩棋士たちを下して、いよいよ羽生を射程圏内に収めるようになる。
そんな折、聖の身体に癌が見つかった。
「このまま将棋を指し続けると死ぬ」
と医者は忠告。しかし聖は聞き入れず、将棋を指し続けると決意。もう少しで名人への夢に手が届くところまで来ながら、彼の命の期限は刻一刻と迫っていた…。
村山聖さんのプロフィール
生年月日:1969年6月15日
出身地:広島県安芸郡府中町
血液型:AB型
師匠:森信雄七段
棋士番号は180
5歳のとき、『ネフローゼ』という腎臓の難病にかかっていることが発覚
小学校5年生まで国立療養所原病院に入院。
同室の仲のよかった少女が呼吸が荒くなり、翌朝には亡くなっていたことから、自分の死を自覚する。
(現実として自分の死を身近に感じてしまうなんで、想像するだけでつらくなります)
見かねた父が気をまぎらわすため、将棋を教える。体に障るからと何度も注意されるほど、将棋に没頭する。
(おそらく、死の恐怖を忘れる方法が将棋しかなかったのでしょう。もし将棋ではなく別のものであったらどうなっていたのか。不思議な縁を感じます)
10歳でアマチュア四段。中国子ども名人戦で4大会連続優勝。
中学1年で名人位を目標にプロを目指す。その後5級で奨励会に合格。
(もともと才能があったのか、必死の想いが将棋の才能をこじ開けたのか。
あなたは、自分の人生に真摯に取り組んでいるかと問いかけられた気持ちになりました)
大阪で単身で暮らすがしょっちゅう高熱を出して寝込むため、森師匠が同居する。「どちらが師匠かわからない」と言われるほど親身に世話をする。
(師匠の森信雄七段が初めて村山少年を見たとき、
「一目で気に入った。好きなタイプ。普通の子ではない」と思ったそうです。
それほどの師匠と出会えたことに、少しホッとしました)
1986年プロ棋士になる。体調不良による不戦敗が度々あるなかで、奨励会を2年11ヵ月で抜けるのは異例の早さ。
「東の羽生、西の村山」
と言われるほど活躍をする。
1995年トップ10人しか入れないA級入りを果たす。(A級で優勝すると名人位に挑戦できる)夢の達成が近づく。
しかし、血尿や倦怠感など体調不良のため、
1997年B級1組に降格。
膀胱ガンが見つかり、腎臓ひとつと膀胱を摘出する8時間半の大手術を受けるが、試合を休むことなく将棋に取り組む。
1998年A級復帰するがガンの再発が見つかり治療に専念するため休戦。
1998年8月8日29歳で亡くなる。
「2七銀」
が最後の言葉。
(とても残念で苦しくなります。
病気さえなければきっと名人やほかのタイトルを獲得していたでしょう。
お酒やマージャンを楽しんだこともあるというのが、せめてもの救いです。
どうか安らかに)
あめりにも壮絶な人生だったので、
村山聖さんをモデルとしたアニメがあります。
アニメ「聖 -天才・羽生が恐れた男-」作画:山本おさむ、監修:森信雄
アニメ「月下の棋士」に登場する棋士「村森聖」は村山聖さんをモデル
アニメ「3月のライオン」に登場する棋士「二海堂晴信」は村山聖さんをモデルといわれています。
アニメ「3月のライオン」は先月から
土曜日23:15分から放映中です。
先週の放送は、二海堂晴信がメインでした。
このアニメは、あかりさんが気配り上手でほっこりしたムードメーカーで癒されます。
あかりさんは、ぽっちゃり系が好みらしく二海堂晴信を一目みて自宅での夕食に誘っていました。
二海堂晴信も、明るく主人公の桐山零を勝手にライバルと決めて少し強引に主人公にからんできますが、どこか憎めないキャラです。
やさしいあかりさんと明るい二海堂晴信が、
川本家をここちよくしていました。
たまに登場する川本家のネコたちも、面白くからんできます。
微笑みが欲しい方は、あかりさんに癒されてください。
人生の厳しさを感じたい方は、主人公の桐山零に注目です。
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松山ケンイチ主演全身全霊で役作り「聖の青春」11月19日公開
いかがだったでしょうか。
村山聖さんの壮絶な人生と松山ケンイチさんの魂をこめた役作りに、
自分の生き方の甘さを恥じ入るばかりです。
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